10/8/2025

結構前から夏の終わりの兆しは感じていて、でも日中の日差しは相変わらずなのでなかなか秋に移行できないでいたが、今日は間違いなく秋の始まりだった。非公式な秋宣言。最近スマホは寝室に持ち込まないルールを設けていて、一方で目覚まし時計は子供によって鈍器と化す。したがってよほど大切な予定がない限りはアラームなしの生活を送っているのだが、まだ薄暗い朝7時に起きるべきか判断を迷う。だがこれもサマータイムの終わりと共に解消されるだろう。涼しくなるのは天気予報でわかっていたので一枚しか持っていないウールのスラックスを引っ張り出してきて、これまた一枚しか持っていない無地の黒Tシャツにリネンのボンバージャケットを羽織った。足元はいつもの白いテニスシューズ。こういうファッションは最近全然好きではないが、1ヶ月に一回くらいならありかもしれない。オフィスを出た時、3時前くらいだったか、燦々とした日差しの中空気は冷たくて、ああこれが秋晴れだよな、と思った。最近は音楽をあまり聞かなくなった。というか、聞く時間がなくなった。通勤の10分間にだけ聞く。この1ヶ月くらいboygeniusのNot strong enoughとB'zのハピネスを繰り返し聞いていたが、その秋の日差しがaikoの夏にマフラーを選曲させた。真逆の季節に冬物を売るファッション業界への皮肉が込められた曲、というのは冗談だが11年前の7月、パリでピーコートを着ていた友人を思い出させた。フランスに留学していた彼は、帰国の際に持ち物がカバンに入りきらないので服は羽織れるだけ羽織って汗だくになりながら地下鉄に乗っていた。また同じ年の8月、大阪の商業ビルで信じられないくらい厚着をしていた男がいた。今よりはいくらかマシだったのかもしれないが、外は間違いなく暑かった。暑くないか?と聞いたら、暑い、と苦笑していた。ファッションが好きな人間はまったくおかしなやつらばっかりだと思った。aikoはこの10年新譜はほぼ追っていないが、昔は結構熱心に聞いていた。あまじょっぱさがよい。ビタースウィートでなく塩で甘味をコントロールしている。幸せの最中を歌った曲もあれば、過去の恋を懐かしむ歌もある。でもそのどちらとも切ない。夏にマフラーだって惚気の歌なのだが別れの予感を含んでいる。カブトムシの彼とゴールインしていたら、もしかしたら歌手としてはもっと短命だったかもしれない。

 

そんなことを考えながら、来るべき冬のためにカシミヤのストールを買った。

5/2/2025

久しぶりにメガネを買った。いつぶりかと振り返ったら、4ヶ月ぶりだった。4ヶ月おきにメガネを買うのは一般的に言って久しぶりではないのかもしれないが、ずいぶん長い間メガネを買っていない気がした。あるいはとても久しぶりにメガネを買ったような気がした。初めて行ったメガネ屋はいわゆるサロン型のメガネ屋であった。サロン型とは、スタッフと客がマンツーマンでメガネを選んでいくスタイルを指す。客は自由にメガネを手に取れない。鍵付きの扉の内側に所狭しと並んだメガネを見て選び、担当スタッフに伝える。スタッフはそのメガネと、スタッフオススメの一本を加えてカウンターに持っていく。カウンターに座って客はメガネを試着する。鏡を見ていると、スタッフは必ず自分に見せるように言う。そして良いね、とかこっちの方がもっと好きだな、とか意見を述べる。客は悩みながら選択肢をしぼっていく…これがこの店の接客スタイルだった。スタッフの技量がないと、このやり方は成り立たない。私を担当してくれたスタッフは、レコメンドのチョイスが絶妙だった。標準的なメガネ屋のスタッフは、形が似ているフレームや、色違いのフレームを提案する。これは客が好きそうなものの範囲内から選ぶ行為なので、ハズレがない。しかしこのスタッフは私が選んだフレームとは全く違うタイプのフレームを手渡してきた。全部で20本近く試してみたが、最後まで残った4本のうち3本がスタッフレコメンドで、そのうちの一本を買った。今までのメガネ購入体験では得られなかった高揚感。また近々行ってしまいそうな予感がある。

 

Casey CaseyのFLEX SHIRT



レモンが好きだ。鮮やかさや、香りやその質量が好きだ。私はいつの日からか市販のドレッシングは使わないので、野菜の上で絞ったり、炭酸水に溶かしたりする。これからの季節はウォッカトニックなどもいい。ここはカリフォルニアにあって、最寄りのスーパーマーケットではカリフォルニア産のレモンは滅多に手に入らない(1930年台の極東の地でもカリフォルニヤ産レモンが売られていたというのに)。そこではたいていオーガニックと、そうじゃないもの、が、並べて陳列されている。かつては有機栽培などという言葉に心を揺さぶられる私ではなかった。これだけ科学の力を借りておいて、食べるものに科学への忌避感を持つというのはおこがましいことだとすら思っていた。しかし、これら2つのものを並べられて気がついたのは、ノンオーガニックのほうが明らかに、もう一方に比べて見栄えが良いのである。大きさも均一。表面には傷も少なくツルっとしている。オーガニックは調子の良い時と悪い時の差が激しい。調子の良い時は、ノンオーガニックと遜色のない色艶をしている。しかしおそらく天候やその他の条件によって負荷をかけられるのだろうか、死闘を終えた直後のボクサーのような、なんとも傷ましい姿をしている時もある。当然見栄えは良いに越したことはない。だが一方で、生物としての私の直感が、いつ何時でもツルツルとしたこの科学的生産物を拒むのである。時を同じくして、沈黙の春とか、パタゴニア創業者の本をいくつか読んだことも影響しているかもしれない。結果、いくらか高い金を払って、オーガニック野菜を買っている。信仰心もないのに神社に行って、賽銭をするように。

 

このシャツがオーガニックコットンを使っているのかどうか私があずかり知らぬことではあるが、オーガニックプロダクトが持つようなある種の不均一性を感じる。シンプルなシャツというのは、私が最も苦手とする一方で、ずっと探して続けているものでもある。肩の形や、腕の長さや、あるいは顔の作りが、無地やストライプのシャツを一枚で着ることを私に許さない。このシャツも例外ではない。肩が妙に張って見えるし、襟の上にある顔は、どこからか持ってきてコラージュされたフェイクのようだ。テクスチャーの異なるプルオーバーやジャケットの下に忍ばせて着るのが精一杯。

これだけ覆ってようやく違和感なく着れる

こういった隠し味的に使用するアイテムは、それ自体の満足度はそれほど高くないことが多い。個人的にはそれがシンプルなシャツであり、あるいはベストだったりする。とはいえ私の場合どれも隠し味として選んでいるわけではなく、単体使用を視野に入れて購入しているのだが、購入から数日経って改めて見てみると魅力が失われている。しばらくはレイヤードスタイルに用いたりするが、さらなる時間の経過とともにクローゼット内の序列を落としていき、最後は不良債権と化す。しかしこのシャツは、今のところ良い位置をキープしている。そして似合わないのを承知で、毎週トライしている自分がいる。たぶん、生地が好きなのだ。不均一性とは、縫製にムラがあるとか、サイズ感が違うとか、そういう意味ではない。同じシャツがひとつのラックに並んでいても、個体Aと個体Bを見分けられるような、そんなイメージ。

 

瑞々しいレモンにかぶりつくように、いつか洗いざらしのこのシャツをただ一枚短パンにあわせて、初夏のカフェでビールを愉しむ。そんな妄想をしている。

 

2024年4月のプレイリスト

 

Song/Artist

 

High/Slow Pulp

May Ninth/Khruangbin

A Love International/Khruangbin

Forever(Sailing)/Snail Mail

Pot Kettle Black/Wilco

Madonna/Snail Mail

BLACKBIRD/Beyoncé

Visions of Gideon/Sufjan Stevens

Jump Rope Gazers/The Beths

No Caffeine/Marika Hackman

COMOLIのブラックコットンニット

 

この春1番気温が高くなった日、Tシャツを着ようと手を伸ばしたとき、その手前にあったニットが目についた。手に入れたばかりのコットンニット。まだ試着しかしてなかった。ニットという属性と、その肌触りの柔らかさから、なんとなく着るタイミングを逃したような気になっていたのだが、外気温が高くなれば比例して室内の気温が低くなる職場の特性を思い出して、むしろそれは今日だろうと思って、パジャマのシャツを脱いだばかりの素肌に被る。心地の良いざらつきを感じる。その日、カリフォルニアの太陽が容赦無く露出した手の甲や、首筋を焼いたが、荒い編み地が日光を中和し、分解し、その下の素肌には純粋な春の日差しのみが届いた。

コットンニットといえば、ハイゲージで、薄手のものをイメージする。大学の若手教員が、トレンチコートの下に好んで着るイメージ。これは太い糸で、緩く編まれているのでそこそこ厚みがある。リブはあってないかのように緩く、重力に逆らってそこに止まることはない。ウエストの高い位置で裾を止めれるという理由でタイトなリブが好きだが、このリブはただの飾りなので、それが丈の計算に折り込まれている。それがコットンという生地であること以上に、気温が高い時期のニットとしての雰囲気を醸し出す。

 

異論は当然認めるが、これは素肌に着るべきニットだ、と思う。何故だか自分でもわからないが、一般的にはインナーを着るだろうものの下に、最近はインナーを省略し、素肌に直接着る、ということにハマっている。外資系企業で長く働き、欧米文化にかぶれていた元上司が、シャツの下にはインナーなど不要と言って、夏汗をかいた時などは乳首をこれでもかというくらい透けさせていた記憶がある。その元上司のせいではないことは確かだが、吸汗以外に、インナーの果たす役割とはなんなのか、外から見えないのなら不要じゃないか、旅行の時荷物も少なくなるし、とかある日考えてしまったせいかもしれない。ともかく、素肌に着てみると、着心地の良し悪しというのが明確に感じられる。

インナーを着るか否か、というのは、どのように見えるか、というよりも着心地がどうかという問題であって、着た時の気持ちよさそれ一点のみで判断されるべきと思っているのだが、これはその中でもとびきり満足度が高い。見た目という点でも、これは厚みの割に意外とダイナミックに体の線を拾うのだが、特に肩が当たる部分、素肌が透けて見え、ゴツゴツとした骨の印象を与えるのに不思議といやらしく見えない。そういうスペックでは語られない良さみたいなものも魅力のひとつ。なお、逆に見た目何ら問題がなくてもインナーを着るべきだと感じる服も存在する。例えば、カシミヤなどは確かに肌触りはいいのだが、着心地という点では個人的にはあまり好きではなく、素肌に直接着ようとは思わない。もしかして背中や胸というのは皮膚が薄いのだろうか、身体の他の部分に比べてより敏感に心地の良さをジャッジしている気がする。

 

私がもし絵を生業にしていたら、キャンバスに向かう時これを着ただろう。あるいは、日々タフなミッションをこなすセールスマンであったなら、貴重な休日には鎧(ジャケット)を脱いで、畦編みに身を委ねるだろう。どちらでもない現実の私は、なんでもない水曜日にこのニットを手に取り、週の折り返し地点にいることをただ認識する。

COMOLIのリネンWクロスジップブルゾン

 

先日、ポーラテックフリースを着て家事をしていたらヒートアップしたので、薄手のスポーツナイロンジャケットに着替えた。しかし体にこもった熱は、ナイロンに阻まれて外には逃げていかなくて、化学繊維特有の肌にまとわりつくような不快感は、家事の合間の休憩のために椅子に腰掛けたあとも続いた。それでリネンのブルゾンに着替えたら一気に快適になった。

コモリの服にはずっと苦手意識があった。気にはなっていたものの意識的に買わないようにしていた。シンプルなのに強いというか、コモリを着たらコモリにしかならないというか、自分の側に持ってくるのが難しいだろうと思っていた。よっぽど下手なことをしなければ大抵の人、若者でも老人でも、男でも女でも、似合うファッションが成立するのだろうが、そういう種類のものを私は求めていなかった。コモリのフォロワーが一気に増え、コモリのルックからそのまま抜け出したようなファッションをする人が増えた。それは作り手にも波及し、どう考えてもコモリを意識しているだろうというブランドは今や1つや2つではない。こういったことも私をコモリから遠ざけてきた。

さまざまな事情から、以前は一切利用しなかった通販を利用することが増えた。これまでフィーリングで購入してきたものも、画面を前にするとあれこれと悩む。例えば、「似たようなもの、持ってるしな」という理性が購買衝動を抑え込もうとする。結果としてうまくいくこともあれば、うまくいかないこともあった。しかしうまくいかなかったこと、つまり失敗したと一度は思った買い物が、時を経てのちに妙に自分の気に入ってくる現象が起こることに気がつく。だとすれば、フィーリングが選ばないものをあえて選ぶことによって人為的にその現象を発現させることができるのではないか?この一連の行動を私は東浩紀氏の表現を拝借して「積極的誤配」と呼んでいて、それについてはいつか整理してみたいと思っているのだがともかく、積極的誤配の第1例として選ばれたのが、このブルゾンだった。

このリネンで作られたブルゾンのことを、ブルゾンのツラをしたシャツなんだと、誰かが言っていた。リネンは気温が高いときに着る素材だというイメージを持っているのだが、どういうわけかこのアイテムは真冬でも違和感なく着られる気がしている。一方で、真夏の室内、エアコンがガンガンかかった室内における羽織ものとしても機能する。1年中着ていられるアイテム、という意味で、実質的なシャツであるという表現は的を射ていると言える。

昨年の11月にメキシコを旅行した時も、Tシャツとデニムに、このブルゾンというスタイルだった。朝出かける時は肌寒いからブルゾンを着ていき、日中暑くなってきたら脱いで、腰に巻きつけておく。あるいは夜、路上でバンド演奏を楽しんだ時は、ポケッタブルのダウンベストを内側に忍ばせ暖をとる。シワが実によく似合う服だから、機内でも気兼ねなく着れる。よくセレクトショップなどで、コモリはワンサイズあげて着ることを薦めているのを目にするが、これを個人的に解釈すると、ワンサイズアップすることで中に別のブルゾンや厚手のベストなどをレイヤードしても着膨れせずに着られる実用性がまずあり、それを実現させているのがオーバー目に着ても成立する美しいシルエット、ということだと思っている。

ルックのように限りなくシンプルに着る、という引力に抗いつつ、いつもの自分のファッションに落とし込む作業が楽しい。これは入門ドリルとしては最適のアイテムだったのではないかと思う。この一着を機に、コモリ沼に少しずつ足を踏み入れていくことになるのだが、それはまた別の話。

いつものユニクロのオックスに羽織りものとして

 

インサレーション入りのダウンベストを着ても着膨れしない

 

当然ジップをあげてもいい。ririジップはもはやアクセサリー。