COMOLIのリネンWクロスジップブルゾン

 

先日、ポーラテックフリースを着て家事をしていたらヒートアップしたので、薄手のスポーツナイロンジャケットに着替えた。しかし体にこもった熱は、ナイロンに阻まれて外には逃げていかなくて、化学繊維特有の肌にまとわりつくような不快感は、家事の合間の休憩のために椅子に腰掛けたあとも続いた。それでリネンのブルゾンに着替えたら一気に快適になった。

コモリの服にはずっと苦手意識があった。気にはなっていたものの意識的に買わないようにしていた。シンプルなのに強いというか、コモリを着たらコモリにしかならないというか、自分の側に持ってくるのが難しいだろうと思っていた。よっぽど下手なことをしなければ大抵の人、若者でも老人でも、男でも女でも、似合うファッションが成立するのだろうが、そういう種類のものを私は求めていなかった。コモリのフォロワーが一気に増え、コモリのルックからそのまま抜け出したようなファッションをする人が増えた。それは作り手にも波及し、どう考えてもコモリを意識しているだろうというブランドは今や1つや2つではない。こういったことも私をコモリから遠ざけてきた。

さまざまな事情から、以前は一切利用しなかった通販を利用することが増えた。これまでフィーリングで購入してきたものも、画面を前にするとあれこれと悩む。例えば、「似たようなもの、持ってるしな」という理性が購買衝動を抑え込もうとする。結果としてうまくいくこともあれば、うまくいかないこともあった。しかしうまくいかなかったこと、つまり失敗したと一度は思った買い物が、時を経てのちに妙に自分の気に入ってくる現象が起こることに気がつく。だとすれば、フィーリングが選ばないものをあえて選ぶことによって人為的にその現象を発現させることができるのではないか?この一連の行動を私は東浩紀氏の表現を拝借して「積極的誤配」と呼んでいて、それについてはいつか整理してみたいと思っているのだがともかく、積極的誤配の第1例として選ばれたのが、このブルゾンだった。

このリネンで作られたブルゾンのことを、ブルゾンのツラをしたシャツなんだと、誰かが言っていた。リネンは気温が高いときに着る素材だというイメージを持っているのだが、どういうわけかこのアイテムは真冬でも違和感なく着られる気がしている。一方で、真夏の室内、エアコンがガンガンかかった室内における羽織ものとしても機能する。1年中着ていられるアイテム、という意味で、実質的なシャツであるという表現は的を射ていると言える。

昨年の11月にメキシコを旅行した時も、Tシャツとデニムに、このブルゾンというスタイルだった。朝出かける時は肌寒いからブルゾンを着ていき、日中暑くなってきたら脱いで、腰に巻きつけておく。あるいは夜、路上でバンド演奏を楽しんだ時は、ポケッタブルのダウンベストを内側に忍ばせ暖をとる。シワが実によく似合う服だから、機内でも気兼ねなく着れる。よくセレクトショップなどで、コモリはワンサイズあげて着ることを薦めているのを目にするが、これを個人的に解釈すると、ワンサイズアップすることで中に別のブルゾンや厚手のベストなどをレイヤードしても着膨れせずに着られる実用性がまずあり、それを実現させているのがオーバー目に着ても成立する美しいシルエット、ということだと思っている。

ルックのように限りなくシンプルに着る、という引力に抗いつつ、いつもの自分のファッションに落とし込む作業が楽しい。これは入門ドリルとしては最適のアイテムだったのではないかと思う。この一着を機に、コモリ沼に少しずつ足を踏み入れていくことになるのだが、それはまた別の話。

いつものユニクロのオックスに羽織りものとして

 

インサレーション入りのダウンベストを着ても着膨れしない

 

当然ジップをあげてもいい。ririジップはもはやアクセサリー。